庄内・最上川紀行 2004/8/25-27
車で訪ねる 鶴岡・湯野浜温泉、酒田・山居倉庫、鳥海山・最上川
鶴岡の旅 8月25日(水)
車で横浜の朝比奈ICから横横に入り、湾岸、常磐、磐越、東北、山形の自動車道のルートで鶴ヶ岡城跡の鶴岡公園に到着し、市内を散策する。鶴ヶ岡城は鎌倉・戦国時代は武藤の支配で、大宝寺城と言った。1585から支配が上杉謙信、最上義光と変遷、鶴ヶ岡城と改称の後、1622に徳川の酒井忠勝が入り、庄内を治めた。戊辰戦争で明治政府と戦って降伏、城は解体され、跡地に荘内神社が建てられた。城の形跡は殆どない。
     鶴ヶ岡城本丸跡の大寶館(大正天皇)とお堀   荘内神社と二の丸大手門跡(鳥居左際)
酒井氏の御隠殿と庭園/致道博物館内         孔子教育の庄内藩校・致道館
致道博物館は鶴ヶ岡城の三の丸跡地にあり、歴史資料、建物の寄付で1950年設立。
  旧鶴岡警察署(1884)/致道博物館内    「麦きり」       鶴岡カトリック教会天主堂
モダンな明治建築は噂どおり、この町によく似合う。致道博物館入り口脇にある三昧庵で昼食に鶴岡名物「麦きり」(うどん)をいただく。

鶴岡市内から海岸に出て、日本海に面した湯野浜温泉に宿泊。海岸では大勢のカメラマンが夕日の撮影に待機し、日が沈むと、いつの間にか誰もいなくなった。翌朝、下駄履きで近くの足湯に出かける。
     日本海に沈む太陽            湯野浜温泉の足湯と飲泉所 源泉52℃


酒田・山居倉庫 8月26日(木)
湯野浜温泉から国道112号を一路、酒田へ。最上川西岸の丘陵にある酒田市美術館、土門拳記念館を鑑賞し、最上川を渡って山居倉庫、本間美術館等を散策した。
酒田市美術館と鳥海山2236m           酒田出身の写真家・土門拳記念館
県道42号(山居通り)沿い、新内橋の手前の山居倉庫の駐車場に入る。山居倉庫は明治26年に山居島に酒田米穀取引所の倉庫として建造された現役の米倉庫。12棟の倉庫は土蔵造り、二重屋根、防湿構造で、背後に西日・西風除けのためのケヤキ並木がある。12棟のうち、一番手前の2棟を観光物産館・酒田夢の倶楽、一番奥の1棟を庄内米歴史資料館として利用。NHK朝ドラの「おしん」は山居倉庫に奉公に出された。それ以来、ここは酒田随一の観光の名所となり、世界中からおしんファンが訪れる。山居倉庫のケヤキ並木は何故か人の心を和ませる。
山居倉庫の土蔵とケヤキ並木               倉庫の表側と内部
観光物産館「酒田夢の倶楽」と山居倉庫P  庄内米歴史資料館と新井田川に架かる山居橋
物産館内にある芳香亭で、「むきそば」、「庄内米焼きおにぎり」を食す。大人気の「おしんの大根めし」は品切れ。売店で「だだちゃ豆アイス」を手に入れた。「だだちゃ豆おこわ」は湯野浜温泉の夕食で食べたもの。だだちゃ豆とは、鶴岡の茶豆(枝豆)のことである。
むきそば 庄内米焼きおにぎり おしんの大根めし だだちゃ豆アイス だだちゃ豆おこわ
「むきそば」は、四国の祖谷では「そばごめ」と言う。精穀した粒状のそばを煮て、そば汁で食べる。

酒田は江戸時代の北前船(大阪-瀬戸内海-日本海-蝦夷の西回り航路)の拠点として栄えた。本間家は元禄の世の1689年に新潟屋の看板で創業、北前船の千石船、米、農地、金融等を扱い、豪商・大地主となった。酒田は本間家の町である。
本間美術館の本館と庭園は1813築の接待用の本間家の別荘を1947年に美術館としたもの。本間家本邸は、表は武家屋敷、奥は商家造りである。本邸の通りの反対側にあるお店には売店がある。
本間美術館 新館(絵画など展示)   本間美術館 本館・清遠閣と庭園・鶴舞園
本間家旧本邸            別館お店(たな)


鳥海山 8月26日(木)
鳥海山は酒田市内の北東25kmのところにある。風力発電で名高いおばこおけさライン(国道7号)を北上し、鳥海ブルーラインを登ると鳥海山の5合目の鉾立展望台・ビジターセンターに着く。
鉾立展望台・ビジターセンター(1190m)       左:稲倉岳1554m  右:鳥海山2236m
ここで、鳥海山と日本海の眺めを満喫し、来た道を引き返して酒田市内に宿泊。

最上川 8月27日(金)
国道47号を通って最上川を遡り、白糸の滝ドライブインから最上川船下り・義経ロマン観光の義経丸(50人乗り10:00発)に乗船。この船は船外機で最上峡まで遡上し、出発した船乗り場まで川を下ってくる。
満々と水を湛える最上川・最上峡             上:義経丸 下:芭蕉丸
最上川は米沢の南の山に源を発し、北に向かって米沢、山形、村山を流れ、新庄付近で進路を西に変え、最上峡を抜けて酒田市で日本海に注ぐ。日本三大急流の一つと言われ、本流路229kmで、平均流量は利根川を凌ぐ。おしんが下った最上川はかなり上流の山形付近の川である。

国道47号をさらに上流へ向かい、芭蕉が「五月雨を あつめて早し 最上川」と詠った本合海(もとあいかい)に立ち寄る。本合海大橋を渡って、すぐ右側にその場所がある。奥の細道の芭蕉は曽良と共にここで船に乗り、最上峡を抜けて酒田へ出た。
本合海船着き場           芭蕉と曽良の像        本合海大橋
芭蕉像の後ろの川岸へ降りると、左側に本合海の船着き場、右側に本合海大橋がある。川は左(南)から右(北)へ流れ、橋を過ぎて急に橋と並行に左(西)へ流れを変る。

本合海からさらに国道47号を東へ行き、新庄市で国道13号に入って南下し、尾花沢橋を渡ってすぐに右折して国道347号を南へ道なりに行くと、村山市にある最上川三難所そば街道の七番店「リバーハウスはやぶさ」に到着する。ここで、昼食に「板そば」をいただく。
三難所そば街道七番店「リバーハウスはやぶさ」とボリューム満点の名物「板そば」
村山市の最上川中流域には岩礁が露出して船の通行が困難な「三難所」、すなわち、碁点(ごてん)の瀬、三ヶ瀬(みかのせ)、隼(はやぶさ)の瀬がある。徳川の頃、難所の岩礁、渓谷を削り、上流から酒田まで舟を通した。碁点の瀬は、三難所川下りの乗り場の碁点橋、三ヶ瀬は三ヶ瀬橋のそばにある。隼の瀬は長島橋の下流2kmにあって、最上川最大の難所であり、多くの船がこの瀬で難破した。「リバーハウスはやぶさ」は長島橋の北岸のたもとにあり、三難所川下りの船着き場でもある。
リバーハウスはやぶさ前の川岸・最上川三難所川下りの船着き場からの眺め
左の橋が長島橋。ここの最上川は右(西)から左(東)へ流れる。「隼の瀬」は長島橋の下流(左方) 2kmにある。

寒河江ICから山形自動車道に入り、往路と同じルートを通り、朝比奈ICに帰着 21:00。