地下トンネルを流れる"いたち川"
2004 /09 /09(木)
横浜の柏尾川の支流の"いたち川"は、光明寺付近で、民家の地下のトンネルを流れている。地図の"角田トンネル"がそれである。
江戸時代、いたち川は光明寺裏手から中島橋下を通り、角田トンネルの東50mの所の山の端の下を流れていた。文化・文政期(1804年〜1830年)、角田民右衛門さんが川の流れを変えて岩をくり抜いたトンネルの中を通し、新しい田んぼを開発した。その後、トンネルの上に角田さんが家を建てた。それ以来、いたち川は角田さんの家の下を流れてきた。最近になって、いたち川の環境整備や環状4号の道幅拡張が進められ、それに伴って角田トンネルを廃止して、200年前の元の流れに戻す工事が進められている。
角田トンネルの上流側の中島橋は、昔は大内川橋と呼ばれていた。旧日本海軍が追浜飛行場と本郷台駅前の海軍燃料倉庫を結ぶ道路や相武トンネルを作ったとき、橋を架け直し、土地の名を取って中島橋と名付けた。元からあった中島橋は元中島橋と言って区別した。
紅葉橋から上流に向かって、地下トンネルを求めて散策した。紅葉橋の下流側から脇道へ入り、川の上流に向かって歩く。紅葉橋のたもとの川岸には、もう彼岸花が咲いている。川に沿って先へ進むと、元中島橋に着く。
紅葉橋                                元中島橋
元中島橋の横を通り過ぎて川に沿ってさらに先へ進み、Y字路を左にとって山道を登って行くと、角田トンネルの東80mの山の中腹に出る。
角田トンネルの東80mの山の中腹あからの展望
中央の茶色の屋根の家:角田さんの家   奥の黄色い建家:上郷交差点のガソリンスタンド
いたち川の水は、角田さんの家のすぐ手前を左から流れてきて、家の庭先からトンネルに入り、家の裏から右へ出て、背の高い雑木林のすぐ手前を右方へ流れる。昔のいたち川は、左端から眼下・足下の山裾にぶつかり、山に沿って右へ曲がり、ビニルハウスのある所を通って前方の背の高い雑木林の右へ抜けていた。間もなく200年ぶりに、昔の水路が復活する。
山道から光明寺の前へ降り、中島橋を渡って上郷交差点からトンネルに接近する。
"角田さんの家の地下トンネル"の出口とその下流
角田さんの家の地下トンネルは、岩盤をくり抜いて作ったものである。トンネル入口は私有地のため、接近困難。
中島橋              中島橋のすぐ下流で左へ急カーブする川
地下トンネルの入り口側では、中島橋の下を通って来た川は左へほぼ直角に急カーブし、地下トンネルへ吸い込まれる。昔は右手の白い建物の方向へ直進した。
  "いたち川"の橋と地下トンネル Map
道路は環状4号(県道23号、原宿六浦線)の上郷交差点(第百ゴルフ練習場入り口)付近