横浜中華街・關帝廟
平成17年2月11日(金) 横浜石川町
  旧正月・春節で賑わう横浜中華街を散策する。JR石川町駅を出て、西門から中華街に入り、中華大通りに通じる善隣門の手前を右折し、地久門から関帝廟通りに入ると、すぐ左手に色鮮やかな関帝廟が姿を現す。今年の旧正月・春節は2月9日(水)である。
延平門・西門 善隣門・中華街大通り 地久門・関帝廟通り
關帝廟正面入口の門 龍が鎮座する牌楼     龍を彫刻した石塔・華表   石段の雲龍石
関帝廟の本殿   正面の黒い4本の観音石龍柱

 関帝廟は中国三国時代の蜀の武将、関羽(162-219年)を祀ったとろである。関羽は関帝、関公、関聖帝君と言われ、交通 安全・商売繁盛・入試合格・ 学問の神様である。関聖帝君の他に、玉皇上帝、地母娘娘、福徳正神の3つの中国の神様と仏教の観音菩薩が祀られている。さっそく願いごとをする。
 中国・三国志の舞台の三国時代(220-280)は、魏・呉・蜀の三つの国が連立して争った。関羽、張飛と蜀の皇帝・劉備とは「桃園の誓い」の義兄弟であり、後に諸葛孔明が劉備に仕えた。関羽は魏・呉連合軍との戦いに敗れ、三峡に近い長江沿岸の当陽・麦城の近くで呉の将軍の呂蒙に捕まって命を落とした。
                                               香炉と中国線香
ところが、その首を検分した魏の王の曹操、関羽を殺した呂蒙、その副将が相次いで病死した。関羽の怨霊を恐れた人々は関帝廟を祀った。
 劉備は関羽の弔い合戦を強行して惨敗を喫し、三峡の近くの白帝城で病死した。孔明はその10年後に西安の西方の黄河沿岸にある五丈原で病死し、やがて蜀も滅んだ。

 関帝廟は中国各地に作られた。日本には横浜関帝廟、神戸關帝廟、函館關帝廟、大阪関帝廟、京都萬福寺、長崎崇福寺があり、とりわけ横浜関帝廟が秀逸である。
関帝廟の本殿の關聖帝君 土産物屋の関羽の像


 横浜関帝廟は、1873年(明治6年)に中国居留民が建造し、関東大震災、第二次世界大戦、昭和61年失火を経た四代目の廟である。中国明、清時代の南廟堂様式で、中国の伝統建築工芸の粋を駆使して建造された


石獅(狛犬)
台湾の原石で鎌倉の石匠が彫った守護獅子


中華街の土産物店は東南アジア風の異国情緒などかもし出し、何でも売っている。

土産の猫グッズ

秦の始皇帝(前259-210)の兵馬俑

兵馬俑を売っているのには驚いた。これは半額の15万円。本物に見え、買い得と思いますが。
 山下公園側の東門(朝陽門)側から中華大通りに入ると、通りのすぐ左側に日本で一番人気の高い「ブタまんの江戸清」二号店、その先の一号店に着く。行列に並んで、ブタまんを立ち食いする @500。
 ひるめしどき、横町の小さい食堂はどこも店の外まで行列。中華大通りの広東料理・太平楼の2階座敷に上がり、ネギそば、カシューナッツ・鶏肉炒め(腰果鶏丁)などをいただく。
 中華街は食材が豊富である。中国食材のピータン(皮蛋)と10年物の紹興酒を入手した。ピータンはアヒルの卵(蛋)を殻のまま木灰・泥・塩に漬けたものである。2〜3mmの厚さの泥塩皮を付けたまま、5個300円で売っている。