赤レンガ倉庫とパンジー 2005/03/24(木) 横浜


赤レンガ倉庫で3周年記念「幸せな気分・サンクチュアリ」が開催され、広場がパンジーで埋めつくされた。
開催期間:3/19〜4/17

みなとみらい線の馬車道で下車し、馬車道を歩いて赤レンガ倉庫へ行く。

2mと5mの高さの花壇「フラワーキャンドル」が大小3つ作られ、夜間にライトアップされる。



パンジーで一杯
80,000鉢、21種類






2号倉庫1Fのレストラン”Sumire”のテラスでパンジーを見ながら海鮮スパゲッティーをいただく。

熱々のスパゲッティーと熱々のパン。
シーザース ドレッシングのサラダ。
スパゲッティーは薄味、ヘルシーである。


絹の世界的ブランド 「S.SHOBEY」

赤レンガ倉庫1号館に1859創業の絹製品の椎野正兵衛商店、S.SHOBEYがある。
ここは横浜スカーフの発祥の店であり、「S.SHOBEY」は日本初の世界のブランドである。
1878年 絹製品をパリ万博に出展
1923年 関東大震災で横浜本店、工場が崩壊、焼失
1945年 横浜大空襲で跡形もなく消滅、廃業
2002年 4代目が再興し、赤レンガ倉庫1号館に出店

スカーフ、ネクタイ、扇子、傘等の絹製品は超一流、宮内庁御用達もの。

赤レンガ倉庫は明治末期から大正初期に国の模範倉庫として新港埠頭に建設され、横浜港の物流拠点として活躍したが、物流機能を他に譲って利用されなくなり、平成14年(2002)に文化施設に改装された。
新港埠頭は明治32年(1899)に着工され、赤レンガ倉庫は明治44年(1911)に竣工した。

←「税関事務所遺構」大正3年(1914) 建設

税関事務所は大正3年(1914) に新港埠頭に建設されたが、大正12年(1923)の関東大震災で消失、埋戻され、荷さばき用地となっていた。赤れんがパーク整備時に発見され、遺構として整備・保存された。
「横浜港駅」明治44年(1911) 設置           駅舎と後方の赤レンガ倉庫との間に税関事務所遺構がある。
横浜港駅は明治44年(1911)に横浜税関構内荷扱所として建設。大正9年(1920)、新港埠頭の汽船連絡列車の乗り入れにより「岸壁列車」として海外航路時代の拠点となった。
汽車道とランドマークタワー           汽車道の港1号橋梁American Bridge Company製(1907)
汽車道を通ってJR桜木町駅から帰路につく。天気は大荒れの予報に反し、晴天となる。

ココロツタエ / 夏川りみ
愛知万博(2005/3/25-9/25) NHKの愛・地球博テーマソング

ココロツタエ/ 夏川りみ
作詞・作曲:谷村新司  編曲:千住 明

月は西の空に星達は目醒める  おだやかな眠りの後に美しい夜明けを待つ
人はゆらぎの中ただようその意味は  不確かなアイを伝える言の葉を持つゆえに

嗚呼生まれ生きて生かされて伝える  人は小さくされども熱き命を歌う旅人
ココロツタエの声は歌に変わり  風に運ばれ海を越え遙かな道になる

木々は緑の中朝靄(あさもや)に包まれ  鳥達は翼休めて渡る時の風を持つ
人はゆらぎの中とまどうその意味は  ささやかな歓び忘れ走り続けるゆえに

嗚呼生まれ生きて生かされて伝える  人は小さくされども熱き命を歌う旅人
ココロツタエの声は歌に変わり  風に運ばれ海を越え遙かな道になる