高遠の桜 2006/04/19-20
桜と歴史の高遠城趾、ロマン溢れる飛騨高山、世界遺産の白川郷を行く
平成18年4月19日(水) 高遠城址公園のコヒガンサクラ観賞、奥飛騨・新平湯温泉泊
20日(木) 飛騨高山と世界遺産の白川郷散策

高遠城趾
ベンツバスのツアーで横浜駅前を7:00に出発、町田→八王子IC→諏訪IC→野沢菜館を経て152号線(杖突街道)に入り、杖突峠を越えて高遠城址公園に正午過ぎに到着する。
高遠のコヒガンザクラは満開を迎え、 問屋門と桜雲橋の上は人でいっぱい。
二の丸から桜雲橋を渡り、問屋門をくぐると本丸に入る。問屋門は本丸御門跡に高遠城下の宿場の問屋にあった門を1948に移築したもの。
本丸跡の太鼓櫓(明治に再建)と桜
撮影ポイントには一眼レフカメラを構える本格的な写真家が多い。
二の丸跡の桜 人でごったがえす。
空堀の桜

高遠城址公園には1,500本のタカトオコヒガンザクラが薄ピンク色の花をつける。桜は明治8年頃植え始められ、樹齢100年を越える木が多く、長野県の天然記念物に指定され、さくら名所百選に選ばれている。
高遠城は、武田方の伊那拠点で天険の要害であったが、伊那口から攻め込んだ信長の長男・信忠の大軍により落城し、武田は滅亡した。徳川7代将軍家継生母の月光院付き大奥大年寄の江島が幽閉された城でもある。
高遠は152号線に沿った活断層の中央構造線上にあり、城は三峯川の切立った岩盤の高い段丘上にある。近くに大鹿村中央構造線博物館や分杭峠のゼロ磁場地帯がある。
       トイレ付きベンツバスで行く。         高遠城址の西ゲート駐車場(勘助曲輪跡)は、観光バスでいっぱい。
中国から飛来した黄砂で中央アルプスの姿は全く見えない。
勘助曲輪跡が西ゲート駐車場になっている。ここは諏訪の高遠氏の居城であったが、1545年に杖突峠を越えて来た信玄軍に降伏し、軍師・山本勘助により伊那拠点の城に改築された。長篠の戦い(1575年)で織田軍に大敗を喫した武田勝頼は高遠城に退却し、甲府へ引き上げていった。
           問屋門の脇に場所を確保し、弁当をいただく。レジャーシートは必携である。
高遠を13:30に出て、伊那IC、松本ICを経て、奥飛騨・新平湯温泉に着き、宿泊。

飛騨高山
翌朝、雨と強風の中を8:00に出発、飛騨高山へ向かい、高山市内の弥生橋の近くの飛騨高山春慶会館(漆の春慶塗り)に到着し、市内を散策する(9:00〜10:30)。
「宮川朝市」は宮川沿いの道にあり、野菜、漬物、駄菓子、土産物、魚などを売っている。
飛騨高山のさんまち通りの 「古い町並み」 中橋周辺 突き当たり右が中橋・高山陣屋

さんまち通りの「ぴーちくぱーく」 では紙で作ったマグネット付き小鳥@100を売っており、40羽をゲットする。

 
     江名子川にかかる千鳥橋のから布引橋を見る        宮川にかかる赤い欄干の中橋、 対岸は高山陣屋
飛騨高山散策コース「橋めぐり」の江名子川は千鳥橋をくぐって直ぐに本流の宮川に合流する。宮川は北へ流れ、神通川となって富山湾にそそぐ。

白川郷
高山を10:30に出て、高山清美道路、東海北陸自動車道を通って荘川ICから156号線を北上し、白川郷のせせらぎ公園駐車場に到着。午後は雨もあがり、晴れ間が出る。昼食をとり、散策する(12:00〜13:30)。
世界遺産の白川郷にはまだ雪が残っている。

中央の家は山峡の家(土産店)、 右奥の家は明善寺郷土館

           白川郷の荻町のメイン道路                  明善寺の鐘楼門庫裡(藁葺き鐘突堂)
メイン道路の前方(北方)の山の中腹に白川郷を見渡せる荻町城跡展望台がある。時間の都合で展望台行きは断念。
せせらぎ公園駐車場にある食事処「合掌」で山菜そばと五平餅をいただく。
白川郷は、1960年頃の庄川のダム建設によって村の合掌造家屋の多くが消滅するはめになり、世に知られる。国道156号・飛越合掌ライン開通(1979年)により観光客が増え、1995年に世界遺産に登録された。庄川は北へ流れて富山湾にそそぐ。

13:30に白川郷を出て、来た道を引き返し、高山・丹生川の板蔵(買物)を経て、松本ICから長野自動車道に入り、中央高速、八王子、町田を通って横浜駅に21:00帰着する。


       158号線(高山→松本)の道路沿いの
       安曇野(松本大学付近)を行く松本電鉄17:07下り

Camera : Nikon E880 and Casio EX-Z57