昇龍橋といたち川 2004/05/23(日)
昇龍橋といたち川 3Dパノラマ写真
鎌倉の裏山の北東側に降る雨は、横浜の「いたち川」に流れ込んで北へ向かい、山手学院の近くで進路を西に変え、大船駅の北方で「柏尾川」に合流する。ここから西南西に向かい、藤沢駅付近で「境川」に合流して南へ流れ、江の島で相模湾に流れ出る。いたち川は境川の孫支流である。いたち川に沿って県道・原宿六浦線がある。いたち川の源流に架かる昇龍橋を散策した。


昇龍橋(しょうりゅうはし)
下流側から見る
(撮影2004/05/23)

昇龍橋は、上郷(旧上野)の村社「白山神社」の参道に架かる石橋であり、横浜最古の石橋と言われる。神奈川の橋百選に選ばれている。橋の左側が白山神社(跡地)である。
建造:明治30年代/1897年
構造:アーチ状の単眼鏡橋
本体:「鎌倉石」/「今泉石」
    (水成岩)
欄干:「御影石」
長さ:8m
施工者:今泉・石材店の先々代

昇龍橋 上流側から見る
(撮影2004/05/23)
県道・原宿六浦線のバス停「八軒谷戸」の近所の文教堂書店の脇を下ると、昇龍橋がある。

長崎の眼鏡橋は、1634年建造の2連の眼鏡橋であり、昇龍橋よりも遙かに古い。
ボスニアのモスタル橋は、オスマン帝国が1566年に作った石像の美しい橋である。

昇龍橋の向こう側(下流側)に県道・原宿六浦線(環状4号)から庄戸に入る白山橋がある。橋の眼鏡の向こうに見えるコンクリート壁がその脚橋である。


昇龍橋
(撮影2004/05/23)

向こうに渡り、石段を登ると白山神社の本殿跡地がある。
頼朝は、白山神社を鎌倉幕府の鬼門にあたる北東を守る神にしたと伝えられている。白山神社は昭和51年に宅地造成に伴って、東上郷町に移された。しばらくは、朽ちた社があったが、今は何もない。

権現橋(ごんげんはし)
(撮影2004/05/23)

昇龍橋付近は、長倉町小川アメニティーとして整備された。昇龍橋の約30m上流側に遊歩道用の木製の権現橋が設置されている。




昇龍橋〜権現橋間のせせらぎのカルガモのつがい
(撮影2004/03/04)


尾月橋(おづきはし)
のオオキンケイギク
上流側から下流側を見る
(撮影2004/05/23)

山手学院入り口から尾月へ渡る尾月橋のたもとのいたち川の土手にはオオキンケイギク(大金鶏菊)の群落が満開である。北アメリカ原産のキク科、多年草。明治中期に渡来し、戦後急増。花は花径5〜7cmで、舌状花,筒状花ともに橙黄色。

尾月橋の上流を見る
(撮影2004/05/23)

オオキンケイギクは6〜7月に咲く。本州以西で広く野生化し、川原などで大群落をなしている。筒状花(花の真ん中の部分)も同じ色をしている。キンケイギクは筒状花が紫褐色であることで区別する。