杉田梅林紀行 2008/03/03 
平成20年3月3日 横浜・新杉田
横浜・磯子区の杉田は江戸時代から明治時代にかけて35,000本の梅の名所として栄え、有名な「杉田梅」を産出した。今は、梅林は無くなり、杉田梅の木が妙法寺の境内や近隣の住居の庭に散在して僅かに残り、杉田梅林、梅林小学校などのなごりが見られるのみである。また、杉田には幼少の美空ひばりが歌っていた杉田劇場跡がある。梅の開花に合わせて杉田梅林跡と杉田劇場跡を訪ねた。

JR新杉田駅ビル・アルカード新杉田                     ラビスタ新杉田
根岸線のJR新杉田駅で降りて駅ビルを通り、連絡陸橋を渡って駅前の La Vista 新杉田に入り、中を通り抜けて国道16号の聖天橋交差点へ下りて、杉田商店街の「ぷらむろーど」に入る。

プラムロード杉田商店街への入口の聖天橋j交差点              商店街に掲げられた表示
ぷらむろーどは杉田新道の聖天橋交差点から京急の踏切までの間を杉田梅に因んで名づけたもの。
           ぷらむろーど(Plum Road)        日本テレビ「ぶらり途中下車の旅」で紹介された杉田餃子の店
京急杉田駅の踏切を渡って少し行ったところにある「なか屋」の杉田梅の梅干し。大粒で種は小さく、果肉は柔らかい。小田原の曽我梅林で育てられた杉田梅を用いている。1kg 2500円。
聖天橋交差点の近くの「菓子一」にも杉田梅の梅干しが置いてあり、種入り梅の甘露煮を埋め込んで焼いた杉田銘菓「梅さやか」もある。聖天橋に引き返し、国道16号を南下して、杉田梅が咲く妙法寺に行く。

日蓮宗 牛頭山・妙法寺

妙法寺境内 天覧梅,斜窓梅,照水梅、珠簾梅、養老梅、双龍梅などの梅の名木がある。

妙法寺の杉田梅      色は白

寺の入口の「杉田梅林」のパネル     新編武蔵風土記稿(1828年)の「杉田村梅木図」

パネル(平成5年作) 杉田の梅林
このあたり一帯は地質が穀類や蔬菜類には適さないので、天正年間(1573~1592)領主間宮信繁が梅樹の植付を奨励し、その果実を売らせて生活の一助とさせました。梅樹は土地に合い繁茂し、元禄(1688~1704)の頃には3万余株となり、寛政~享和(1789~1804)の頃には近隣の森・根岸・滝頭・富岡の村々も梅樹を植えたと伝えられています。
 明和~安永(1764~1781)の頃、杉田の梅は、金沢探勝のルートとして加えられるようになり、文化~文武(1804~1830)の頃には江戸近郊の名所として文人墨客が訪れ、佐藤一斎の「杉田村観梅記」、清水浜臣の「杉田日記」が出版されてからは一層有名になりました。観梅客は海路・陸路から訪れ、熊野神社境内の高台は梅見の場所として知られました。ことに妙法寺境内は名木が多く梅林の中心でした。境内には熊野神社境内とともに梅を詠んだ句碑が建っています。
妙法寺は牛頭山と号す日蓮宗の寺院で、文和元年(1352)の創立です。旧領主間宮家累代の墓碑があります。
横浜国際観光協会


   杉田道・杉田日記(金沢横町付近)

 杉田梅林は、大梅(五郎左衛門梅)と言う杉田梅のほか、豊後、浪花、薄紅梅、種割り小梅などの梅の木が35,000本栽培され、幕末には根岸から富岡まで梅林が広がり、関東第一の梅の産地となった。2月に梅が満開になると、甘酸っぱい香りが遠く観音崎の沖合まで漂い、観梅客をもてなす茶屋が数多く見られたと言われる。1889(明22)の東海道線開通等によって杉田梅林は観光地としての役目を終え、衰退していった。今の杉田には妙法寺境内やその周辺の住居の庭に庭木として杉田梅が散在しているのみである。杉田梅愛好会は杉田梅を復活させようと努力している。小田原・曽我梅林には100年前に杉田から移植した杉田梅がある。

妙法寺を出て青砥坂へ向い、横浜・環状3号線(青砥坂-都筑・落合橋)に出ると、杉田梅林トンネルがある。トンネル名は杉田梅林に因んで付けられた。

杉田梅林トンネル(1999建)
青砥坂側

手前方向が青砥坂交差点
トンネルの向こう側が笹下釜利谷道路・栗木交差点方向

トンネルの上の左端に梅林小学校の校舎が見える。


手前の道を右へ行き、坂道を登ってトンネルの上に出ると、梅林小学校に着く。




杉田梅林トンネル
杉田坪吞側


杉田梅林トンネルの上からの眺め



右端道路は
青砥坂交差点
左折すると新杉田駅方面


中央左寄りの道路を登るとトンネルの上にでる。





梅林小学校(1960開校)
杉田梅林に因んで名づけられた。



再来年が50周年。

蛇がぞろぞろ出てくる森に囲まれていたが、杉田梅林トンネルが出来て見晴らしが良くなったと先生が学校を紹介している。
梅林小学校の梅
小学校には多くの梅が植えられている。杉田梅ではない。

小学校の南側には「杉田梅林ふれあい広場」が作られている。
小学校の南方の杉田6丁目には、昭和30、40年代に開発された杉田梅林団地の名が残り、「杉田梅林町内会」、バス停・「杉田梅林」(新杉田発の215系大谷団地循環横浜市営バス)などがある。
杉田7丁目の大谷団地脇には杉田梅愛好会が杉田梅を育てている「杉田梅ひろば」があり、杉田保育園児が梅を収穫している。

梅料理研究家・乗松祥子さんの代官山ヒルサイドテラスの店「延楽」では、杉田梅で作ったウン年ものの梅干を売っている。

青砥坂から16号線を新杉田駅方面に行くと、美空ひばりが初舞台を踏んだ杉田劇場の跡地「旧杉田劇場跡」に着く。


旧杉田劇場跡
国道16号線を跨ぐJR根岸線の陸橋のガード下、写真の道路右側(海のある東側)にある。


前方ビルはラビスタ新杉田
手前は青砥坂、横須賀方向

ガード下の「旧杉田劇場跡」の史跡表示板(2005年)
表示板は中央の太いコンクリート柱のたもとにあり、うっかりすると見逃してしまう。

杉田劇場の美空ひばり(昭和21年、9歳)   劇場付近に横浜市電の終点・杉田駅があった(1967廃止)。
今は埋め立てられたが、当時の杉田劇場は電車道に面し、裏は海だったとある。
旧杉田劇場跡を後にして、新杉田駅前のラビスタ/ La Vista 内にある杉田劇場へ行く。

 La Vista(2004年 open) 聖天橋交差点から           新しい杉田劇場(2005年 open, La Vista 4-5F)
  杉田劇場入口 入って左が事務所、階段の上が5階の劇場          杉田劇場の事務所
2005年にオープンした磯子区民文化センター 杉田劇場は旧杉田劇場の名に因んで名づけられた。杉田劇場には街歩きがガイドが置いてあり、杉田梅、美空ひばりなどの資料もあるようである。
美空ひばりは磯子の滝頭で育ち、1953年に新杉田の一つ横浜よりの磯子駅のそばの丘の上に敷地800坪の「ひばり御殿」を建てた。御殿は1970年頃解体されたと思われ、今はここにニックハイム磯子(1974)が建っている。
磯子区磯子3-11-1(旧表示:磯子区間坂1134)

   新杉田周辺地図(杉田梅林と杉田劇場)

Camera : Nikon D70(Lens : Sigma18-200mmF3.5)