浜松城 2012/03/07
平成24年3月7日(水)、浜松城を見てきた。
浜松城は家康の対武田信玄の本拠地であり、家康が城の数キロ北の三方原で武田信玄に負けてうんちをちびり、逃げ帰った城(浜松駅から1km強)である(三方ヶ原の戦い、1572年)。城は三方原(みかたがはら)台地の東南端にある。

 
浜松城


 
浜松城


 
浜松城の天守
松江城をモデルにしたコンクリート製の復元模擬天守、石垣は本物の現存品

 
浜松城の天守


 
浜松城の天守


 
徳川家康の像 浜松城


 
浜松城の井戸


 
浜松城の天守の瓦と鯱鉾
葵の御紋

 
浜松城の天守の瓦
葵の御紋

 
浜松城の天守からの眺め 浜松駅方向(南方)を望む
下が天守の撮影ポイントの庭

 
浜松城の天守からの眺め 三方原方向(北方)を望む


 
徳川家康三方ヶ原戦役画像/顰像(しかみぞう) 複製 (天守内展示)
敗戦を肝に銘ずるために姿を描かしたと

 
三方ヶ原合戦に於ける武田軍の遠江(とおとうみ)/遠州侵攻経路(天守内展示)
武田信玄は1572年10月3日、25000人の兵を率いて甲斐を出て髙遠、大鹿村(中央構造線、秋葉街道)を通り、天竜川に沿って南下して三方ヶ原に来た。ここでその年の12月に家康を攻めた後、近所の刑部(おさかべ)で越年し、翌年2月に新城市の野田城を攻め落とした。その後、病に伏し、設楽(したら)から伊那街道を通って甲斐へ引き返す途中、国道153号(三州街道)沿いの根羽で4月に病死し、遺骸が阿智の長岳寺に安置された。根羽村横畑に信玄塚がある。
みやこ京都に近い湖の地域が「近江」、遠い浜名湖の地域が「遠江(とおとうみ)」、別名「遠州」(静岡県の大井川以西)と言われた。


浜松駅前地下街 正面が浜松駅


 
 

photo: Nikon D90 (Lens : Tamron AF18-270mm F/3.5-6.3)